アイスキュロス
(紀元前525~紀元前456年)
概要 (Overview)
アイスキュロス(Aeschylus)の概要
アイスキュロスは、紀元前5世紀の古代アテナイで活躍した劇作家です。
ソポクレス、エウリピデスと並ぶ「古代ギリシャ三大悲劇詩人」のひとりであり、その中でも最も時代が古く、演劇の基礎を築いたことから「悲劇の父」と称されています。
アイスキュロスの生涯
アイスキュロスの人生は、アテナイが民主政を確立し、ペルシア帝国との戦争(ペルシア戦争)を戦い抜いた激動の時代と重なっています。
- 誕生(紀元前525年頃) アテナイ近郊の、エレウシスの貴族の家に生まれました。
- 戦士としての活躍 彼は単なる文化人ではなく、アテナイの市民兵として祖国のために戦いました。紀元前490年の「マラトンの戦い」や、紀元前480年の「サラミスの海戦」に従軍し、ペルシア軍と直接刃を交えています。この戦争体験が、後の作品に大きな影響を与えました。
- 悲劇作家としての成功 紀元前484年に演劇祭(大ディオニュシア祭)で初めて優勝を飾ると、生涯で13回(あるいは28回とも)の優勝を記録し、アテナイ劇壇の第一人者として君臨しました。
- 晩年と最期(紀元前456年頃) 晩年はシチリア島(シラクサ)の王に招かれて度々遠征し、最後はシチリアのゲルラという都市で没しました。 > 【有名な逸話】 > 彼の最期については、「鷲がカメを岩と見間違えて、ハゲ頭だったアイスキュロスの頭に落としたために亡くなった」という奇妙な伝説が残っています。
業績 (Achievements)
主な功績と演劇への革新
アイスキュロスが「悲劇の父」と呼ばれる理由は、それまで単純な合唱(コーラス)とひとりの俳優のかけ合いに過ぎなかった演劇に、革命的な変化をもたらしたからです。
1. 「第二の俳優」の導入
これが彼の最大の功績です。それまで舞台には「1人の俳優」しか立てませんでしたが、アイスキュロスが「2人目の俳優」を登場させたことで、舞台上でキャラクター同士の「対話」や「対立」が可能になり、演劇的なドラマが生まれました。
2. 三部作(トリロジー)の確立
ひとつの大きなテーマや神話を、3つの独立した劇で地続きに描く「三部作」の形式を完成させました。現存する『オレステイア』はその最高傑作です。
3. 舞台美術・演出の発展
豪華な衣装や仮面を導入し、舞台にペインティングされた背景(背景画)や、大がかりな舞台装置を使うなど、視覚的な演出にもこだわりました。
現存する主要な作品
彼は生涯に90本近い劇を書いたとされていますが、完全に現存しているのは以下の7作品だけです。
| 作品名 | 概要・特徴 |
|---|---|
| 『ペルシア人』 | 自身も参戦したサラミスの海戦を、敗北したペルシア側の視点から描いた、古代ギリシャ演劇で唯一の「歴史劇」です。 |
| 『テーバイ攻めの七人』 | オイディプス王の呪われた息子たちが、王位を巡って骨肉の争いを繰り広げる物語です。 |
| 『縛られたプロメテウス』 | 人類に「火」を盗んで与えたタイタン族の神プロメテウスが、ゼウスの怒りを買って岩山に縛り付けられる苦悩を描いています。 |
| 『懇願する女たち』 | 望まぬ結婚から逃れるために、エジプトからアテナイへと逃れてきた50人の娘たちを描く初期の作品です。 |
| 『オレステイア』三部作 | 『アガメムノン』『供物をもたらす女たち』『恵みの女神たち』の3劇からなる、古代ギリシャ悲劇で唯一完全に残っている三部作です。親殺しの連鎖(血の復讐)が、法廷による裁判(法による正義)へと昇華される過程を描いた最高傑作です。 |
アイスキュロスの墓碑銘(エピタフ)
アイスキュロスは自身の墓に刻む言葉として、劇作家としての栄光ではなく、「マラトンの戦いで戦った兵士であったこと」を望みました。
「この記念碑の下に、エレウシスのエウポリオンの息子、アイスキュロスが眠る。彼は実り豊かなゲラの地で没した。彼の勇敢さはマラトンの木立ちが、そしてそこに髪の長いペルシア兵が知っている」
彼にとって、芸術と同じくらい「市民として祖国を守ったこと」が誇りだったのが伝わってきますね。